まんぷく・信州

長野食工房 9月の行事食

 

9月の行事食の歴史

月見団子

月見の歴史

月見は中国の唐の時代から始まったものとされます。
日本では、単に月を観る習慣であれば縄文時代からあると言われています。

【奈良・平安時代頃】
仲秋の十五夜に行われる月見の祭事は、奈良・平安時代頃に中国から伝わり、日本では貴族などの間で月を観ながら歌を詠むなど、華やかな月見の宴を催していました。
また、月を直接見ることをせず、杯や池に月を映す楽しみ方もあったようです。

【鎌倉時代~】
鎌倉時代に武家や庶民にも月見の祭事が広まっていきました。

この月見が庶民に定着するにあたっては、やはりその基礎となる習俗がありました。
これが初穂祭、つまり秋の収穫祭であると言われています。
庶民の間では、昔から月を神聖なる神としてあがめ、農民は秋の収穫物を供えて五穀農穣を祝い感謝する祭りをしていました。
芋の収穫祭、稲の収穫祭と十五夜の行事が結びついて定着していったものと考えられます。

【現代】
現在でもススキや月見団子、秋に収穫したものをお供えし、収穫を感謝しつつ、月を眺めながら食事や晩酌をする、というお月見の習慣が受け継がれています。

エコな時代ですし、部屋の電気を全て消して月明かりだけで月見の宴をするというのも良いかもしれません。
月明かりがいっそう引き立ちます。また、キャンドルを灯すのもなかなか素敵な楽しみ方ではないでしょうか。

信州の月見の歴史

松本城の天守閣の南東側には、月見櫓(つきみやぐら)があり、昔はそこで月見の宴を行ったと言われています。
月見櫓は天守閣ができた後、寛永10~15年(1633~1638)に当時の松本藩主 松平直政により築造されたものです。
この月見櫓と辰巳櫓(たつみやぐら)は、従兄弟にあたる将軍家光が京都からの帰りに善光寺参詣するために松本城に立ち寄ることになり、家光のために急遽造られた櫓です。
しかし、善光寺参詣が中止となり、実際に家光が訪れることはなかったようです。

現在でも松本城で十五夜前後に「月見の宴」が開かれています。
雅楽の演奏を聴きながら月見を楽しむことができ、毎年多くの人が訪れます。

重陽の節句

中国では不老長寿の薬として菊酒を飲む風習があり、これが日本に伝わりました。
平安時代は「重陽の節会」という宮中行事に、江戸時代には武家の祝日になりました。
明治時代までは庶民の間でも行事として行われていたそうですが、今ではもう見慣れない行事となっています。

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